天職とか使命とか、そんなの本当にあるの?

天職とか使命本当にあるの? 使命

「天職を見つけたい」「自分の使命を生きたい」
そんな言葉を聞くと、どこかモヤモヤしてしまいます。

自分にしかできないこととか、生まれてきた意味とか。
そういうのが“あったらいいな”とは思うけれど、
目の前の毎日はそんなにキラキラしていないし、
「これが天職です」なんて、言い切れる自信もない。

正直、私も今の占いの仕事が天職かどうかは、まだわかりません。
でも、いろんな仕事をしてきた中で、
今のこの道は「なんだかしっくりくるな」と思えることが増えてきました。

そもそも“使命”って、最初から用意されてるものなんでしょうか。
誰にでもあるべきものなんでしょうか。
もしそうなら、どうやって見つければいいんだろう。

今日はそんな問いについて、
これまでの自分の経験も交えながら、少し書いてみようと思います。
今まさに、モヤモヤの中にいる人にとって、
ほんの少しでもヒントになれたら嬉しいです。

天職や使命って、見つけなきゃいけないの?

周りにあふれる「好きなことで生きていく」という言葉

「好きなことを仕事にしよう」
「やりたいことで生きていく人は幸せだ」
そんな言葉を、SNSや本で見かけることが増えました。

最初は軽く受け流していたのに、
何度も目にするうちに「そうしなきゃいけないのかな」と、
プレッシャーのように感じるようになっていったんです。

もちろん、それができたら素敵だけど、「好きなことってなんだろう?」と
自分でもよくわからないまま過ごしてきました。

情熱を注げる“何か”が見つからないまま仕事を続けていると、
なんとなく後ろめたさや焦りがつきまとってくる。

周りがまぶしく見えて、自分だけが取り残されているような気がして。
でも、本当に「みんなが見つけてる」なんてこと、あるんでしょうか?


「これが天職」と言い切れる人は、ほんの一部かもしれない

“これが私の天職です!”って言い切れる人って、どれくらいいるんだろう?

たしかに、そう感じている人もいますし、実際にそう語る人もいます。
きっと、多くの人は最初から「これが天職だ」とわかっていたわけではないと思うんです。

なんとなく続けてきたことが、あるとき「これでよかったんだ」と思えたり、
やめずに向き合ってきたからこそ、じわじわと“自分の道”になっていったり。

そういう静かな積み重ねの中で、あとから「これだったのかも」と気づくことのほうが、
実は多いんじゃないかな。

私も、ずっとわからなかった

流れの中で始めた仕事と、続けてきた理由

私はもともとデザインの仕事をしていて、流れの中で会社も立ち上げて、
「夢を叶えた」ように見えてたかもしれませんが、
実際には、周囲の状況や流れの中で必要に迫られて決めた選択でもありました。

仕事はたくさんあって、忙しくて、責任もあって。
毎日毎日一生懸命取り組んでいましたが、
ふと「私は本当にこれがしたかったことなのか?」と立ち止まるようになりました。

決して嫌いな仕事ではなかったし、デザインの事も好きだったし、
でも「ずっとこれをやっていたい」とまでは思えなかったんです。

「使命」なんて言葉には、ほど遠かった

そんな中で出会ったのが、占いでした。
きっかけは本当に些細なことで、すぐに仕事にしようと思ったわけでもありません。
でも、学んでみると面白く、人の相談に乗るようになるにつれ、
少しずつ「これも仕事になるんだ」と思うようになっていきました。

とはいえ、「これが自分の使命だ」なんて言葉は、
自分には大げさすぎるように思えて、なかなか使えませんでした。

ただ、“やらされている感”ではなく、
自然と自分が選んでいる感覚がある──
そのことが、じわじわと自分の中に残っていったんです。

「これかもしれない」と思えるようになった理由

しっくりくる瞬間が、少しずつ増えていった

占いの仕事を始めてから、しばらくは手探りでした。
「本当にこれでいいのかな」「誰かの役に立ててるんだろうか」
そんな不安は、ずっとどこかにありました。

でも、続けていく中で、少しずつ「しっくりくる」瞬間が出てきたんです。
たとえば、鑑定のあとに「話してよかったです」と言ってもらえたとき。
相談に来た方が、すこし表情をゆるめて帰っていくのを見たとき。

「ああ、こういう形で誰かの役に立てるって、うれしいな」
そんな気持ちが、静かに自分の中に積み重なっていきました。

迷いも、寄り道も、全部つながっていた

今思えば、最初から“正解”を見つけようとするよりも、
「いまの自分ができること」を重ねていくほうが、
自然に道ができていくのかもしれません。

デザインの仕事も、会社をやっていた経験も、
迷った時間も、全部が今の仕事に生きています。

遠回りに思えた道のりも、あとから振り返ると、
「あれがなかったら、今ここにはいない」と思えるものばかりでした。

今、天職や使命が見えていなくても大丈夫

探すものではなく、にじみ出てくるものかもしれない

「天職」や「使命」は、“探しに行って見つけるもの”のように思われがちです。
でも私は、むしろ「気づいたら、そうだったのかもしれない」と
あとから思えるものなんじゃないかと感じています。

明確な答えを出さなくても、
自分が向かっている方向に少しでも納得できていれば、
それで十分なのかもしれません。

今の場所で感じる小さな「しっくり」を大切に

焦って答えを探すより、今ここで感じている
「なんかちょっと合ってる気がする」「これはちょっと違う気がする」
そんな感覚を大切にしてほしいと思います。

その積み重ねが、やがて「自分の道」と呼べるものになっていく。
天職や使命という大きな言葉にとらわれすぎずに、
目の前の一歩を、丁寧に選んでいけたらいいのかなと思います。

おわりに──「わからない」ままでも進んでいける

今の自分が「これだ」と思えなくても、
わからないまま進むことだって、ちゃんと意味がある。

私自身、ようやく「この道を続けていきたい」と思える場所に立っていますが、
それもずっと迷いながらたどり着いた結果です。

もし今、「これでいいのかな」と立ち止まっているのなら、
ひとりで抱え込まず、誰かに話すことで見えてくるものもあるかもしれません。

そんなとき、もしよければ、私もそのひとりとしてお手伝いできたらうれしいです。
五行易は、今のあなたにとって必要な“問い”を、静かに照らしてくれます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました